私がパーソナルトレーナーという道を選ぶことができた理由

私がパーソナルトレーナーの道を選ぶことができた理由 幼少期

パーソナルトレーニングジムValeza代表の御代田がどのような経緯でパーソナルトレーナ―という道を選ぶに至ったかをご紹介しています。

幼少期

私は両親の故郷の福島県の郡山市に生まれ、高校を卒業するまでずっと地元で育ちました。

2歳離れた兄がいて2人兄弟です。

小さい頃から顔がパンパンで将来は力士になると期待されていたそうです(笑)。

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絵本や本など家の中で過ごすのが好きな兄とは対照的に私は、暇さえあれば外に出て、ボールを蹴って遊んでいるような子供でした。

祖母を無理やり外に連れだして、毎日のようにサッカーの相手をさせて困らせていたそうです。

両親は共働きということもあり、幼少期はいつも祖父母と一緒に過ごしていました。

典型的なおじいちゃん、おばあちゃん子。

旅行好きな祖父母なので、仙台の七夕祭り、魚釣り、猪苗代湖などいろんなところに連れて行ってもらいました。

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猪苗代湖で祖母と一緒に。

日の夕方は決まって兄弟二人と祖父母と一緒にテレビで水戸黄門を観ていました。

観終わって祖母が晩御飯の支度に入ると、今度は祖父と大相撲を熱く観戦していたのを覚えています。

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祖父と兄と一緒に。(一番右が私です)

兄の影響で始めたスイミングや空手の習い事もいつも祖父が送り迎えをしてくれました。

スイミングの帰りに祖父からいつも買ってもらっていた自販機のセブンティーンアイスの味は今でもよく覚えています。

元気そうに思える幼少期ですが、小学3年生になるぐらいから花粉症などの慢性的なアレルギーを発症して、1年中鼻炎や体調不良に苦しむ生活、薬で症状をごまかす生活が始まりました。

大好きだった叔父の死

私の母親は3兄弟の長女で下に妹、そして弟がいます。

私からすると叔父にあたるわけですが、年の離れた兄のようで私は叔父が大好きでした。

母の実家に遊びに行くと、一緒に遊んでくれて、動物好きな私にいろいろな動物の生態を教えてくれました。

叔父は生前、横浜に一人暮らしをしていて、仕事のストレスで暴飲暴食の日々を送っていた時期がありました。

精神的にも身体的にも追い込まれていて、口から血を吐いてしまうときもあったそうです。

ある日病院に行くと、叔父は胃がんの診断を受けました。

胃を全摘する手術をしましたが、子供たちに大好きなバスケの指導もできるまでに回復しました。

しかし、若かった叔父は進行が早く、再入院を余儀なくされました。

私も家族でお見舞いに行きましたが、元気そうでほっとしました。

しかし、それから数ヶ月後、病状が急変し30歳という若さでこの世を去りました。

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当時、小学校を卒業したばかりの私にとって、身近な人の死を目の当たりにするのがこの時が初めての経験でした。

大切な人が亡くなるということ。

今後の人とのかかわり方を考えさせられる私にとって大きな大きな出来事になりました。

今振り返ると、この時の経験がのちのトレーナーになるきっかけの一つになっていた気がします。

野球一筋の6年間

中学生の時から野球をはじめ、高校も野球部に所属しました。

本格的に筋力トレーニングを始めたのもこの頃です。

先輩方から重りを使ったトレーニング方法などを教えていただき、実践していくなかでみるみる体が変わっていくのが実感できました。

もっとトレーニングをしたい!

そんな気持ちがありましたが、勉強にも力をいれている学校だったので部活の時間があまり取れないことをすごく残念に感じていました。

限られた時間でいかに効果のあるトレーニングができるのか?

忙しくても結果を出すにはどうすればいいのか?

こういった考え方はこのときからすでにあったのかもしれません。

高校入学時に20㎏鉄の棒をやっと持ち上げるような貧弱だった私が、高校2年の冬にはベンチプレス120㎏を持ちあげるようになるまで変化していました。

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高校3年生の時の写真。

限られた時間でも効果は出せるんだ。

時間がないのは言い訳にしかならない。

このときそう感じました。

順風満帆に見える高校時代ですが、ケガにかなり悩まされました。

練習中に足首を捻挫してしまい、リハビリ生活を余儀なくされてしまったのです。

すべての時間を野球につぎ込んでいた私にとって、この期間は苦痛でしかありません。

周りのライバルとの差がどんどん開いていくのを見て焦りも生まれてきました。

しかし、ほかの選手とは別メニューでリハビリに取り組むしか方法はありません。

リハビリといっても専門のトレーナーが見てくれるわけでもなく、ほとんど独学です。

ケガをしたのが冬だったのですが、お医者さんからは春の大会までは間に合わないかもしれない、と言われてしまいました。

しかし、大会に間に合わない事態だけは避けたいのでとにかく必死です。

誰よりも朝早く学校に行って、誰もいない体育館でリハビリメニューを黙々とこなしていました。

その結果、何とか大会に間に合わせることができました。

今思うと、正しい知識があればもっと早く治すことができたと思います。

しかし、数年は足首の違和感は完全には取れなかったですね。

この時の経験が運動指導者の道に進む大きなきっかけです。

野球部も引退し、進路を考え始めなくてはいけない時期。

当時の野球部の監督に進路のことで相談に乗ってもらいました。

私は当時、スポーツトレーナーの道に進みたいと考えていましたが、監督からはトレーナーという職業自体がほとんどないと言われ、勧められたのが監督と同じ学校の体育の先生でした。

監督のアドバイス通り、私は教員の道を志して栃木県内の教員養成の大学に進学しました。

大学ではプロサッカーの栄養指導を担当している先生や元オリンピック選手など、その道のスペシャリストの先生方の貴重なお話を聴くことができる環境に身を置くことができました。

大学3年生の時には、母校への教育実習も経験。

教育実習は現場の様子を知ることができる絶好の機会でしたが、幸運なことに一番興味があった野球部の部活動にも一緒に参加させていただくことができました。

実習を終えて、自分がやりたいのは学校の先生よりも運動指導の専門家の道ではないか?

と大きな気づきを得る経験となりました。

やはり、高校時代の頃に抱いた想いが捨てきれなかったのです。

教育実習は、母校への実習だったということもあり、実家から通うことができました。

久しぶりに、学校に行く前に母親が作ってくれた朝食を食べていると、当時(中学生と高校生)の時のことを思い出しました。

母親は試合や練習試合のときなどは、早い時には4時起きして朝食やお弁当を作ってくれました。

当時は当たり前のことだと思っていましたが、いざ、教える立場の視点になってみると、子どもたちが自分の可能性を勉強でも部活動でもしっかり発揮できるようになるには、家庭のサポートはとても大切だなと改めて実感しました。

自分がこうして今ここにいれるのも母親含めた家族のおかげです。

子どもたちを、そして家庭を、影から支えている母親という存在、偉大さを改めて考えさせられる機会となりました。

トレーナーとしての挫折&本当にやりたいこと

結局、大学卒業後は介護施設での運動指導をメインの仕事に選びました。

おじいちゃん、おばあちゃん子ということもあり、高齢者相手の運動指導にはとてもやりがいを感じていました。

しかし、すでに寝たきり状態の方、車イスで歩くことができない方を運動でよくしていくことに限界を感じ始めていました。

「寝たきりや車いす生活になってしまうのを未然に防ぐには、若いうちから対策をするしかないんじゃないか?」

「自分の役目は元気なうちから身体を大切にして、自分の脚で一生歩ける体づくりをサポートすることじゃないか?」

気がつくとこのように考えるようになっていました。

ちょうどそのころ、自宅の近くで病院に併設してある疾病予防運動施設のメディカルフィットネスがオープンするということを耳にしました。

自分の力を試したいと思い、そこの施設の立ち上げメンバーとして転職をしました。

メディカルフィットネスでは、リハビリ目的の方だけでなく一般の方やアスリートの方も通われていて、様々な方を対象に指導することができました。

この時の経験が今でも大いに役立っています。

最初の頃は、自分が野球という競技経験からトレーニングで体が変わったという自信があったので、とにかく重りを使ってガンガン鍛えるようなアスリート向けの指導ばかりしていました。

今思うと当時のお客様に本当に申し訳ないことをしてしまったと反省しています。

当時は、お客様のことを考えずに本当に自分勝手なトレーニングしか提供できていませんでした。

そんなある時、母親から膝の痛みと体型の悩みの相談を受けたのです。

私の母は高校卒業後、会社の事務員として30年以上勤務してきました。

仕事中はずっと座ったままで、明らかに運動不足なのはわかっているけど、仕事や家事に追われて自分の体型を省みる暇もない状況。

お気に入りのパンツも履けなくなってきて体型が隠せる洋服ばかり選ぶようになっていました。

これまで職場のジムでグループ指導をメインに行ってきた私にとって、個別でアドバイスをすることはあまり経験がありません。

そのため、痛みをとってあげる技術やボディメイクの知識がないので当時の私は適切な指導が何もできなかったのです。

ただガンガントレーニングすればいい、ただ楽しく運動できればいい、

そんな風に思っていた自分がものすごく恥ずかしくなりました。

一番身近にいる大切な家族の力にさえなれないことをとても情けなく感じたのを覚えています。

実は、母親だけでなく当時の自分の力では、ジムに通われるお客様のお悩みも解決できないことが多くあり、トレーナーとしての存在意義に疑問を感じ、悩み始めていた時期でもありました。

自分が本当にしたいことは何か?

自分は何のために生まれてきたのか?

仕事終わりの帰宅する車の中で今後の人生について考えてたのを覚えています。

この時に、自分のケガの経験や叔父の死の記憶が思い出されました。

ケガの経験や叔父の死が自分の進むべき道を示しているようにも思えてきました。

自分の使命はリハビリの考え方を応用したトレーニング、その人の体質に合った栄養指導によって人を幸せにすることではないか?

ただの思い込みや勘違いかもしれませんが、そのように思い始めていました。

私は、母のような忙しい女性でも限られた時間を使って効果的に体を変えるサポートをしたい!

そして世の中の女性が健康で元気な社会になれるように貢献したい!

分の使命と本当にやりたいことが見つかった瞬間でした。

この日からもう一度、栄養学や生理学、解剖学、トレーニング方法などについて休みの日も返上して研究し続けました。

ある日ジムの様子を見ていて、私はふと気づきました。

ほとんどの女性がスタジオでのレッスンを目的にジムに通われている、

しかし、毎日一生懸命に参加している方の中には運動の効果がなかなか出ない方もとても多いのです。

なぜ結果が出ないのだろう?

自分なりに考えてみました。

スタジオは10~20人、多い時で30人のグループ指導になるので、当然ながら一人のトレーナーがお客様全員にホームチェックをするのが難しくなります。

効果的にボディメイクしていくために一番大切なのはフォーム。

その大切なフォームをお伝えするにはグループ指導では限界があるのでは?と感じました。

特にフォームがしっかりできたうえで、適切なトレーニングができていないと効果が出ないのが下半身、お尻と脚だと気づきました。

では、どうすれば自分が伝えたいことを最も正確にお客様にお伝えできるのか?

私なりの答えというのが、一対一や少人数で指導できるトレーナーになることでした。

美脚美尻専門のパーソナルトレーナーになったのはこのような背景があったのです。

女性の味方、パーソナルトレーナー誕生

大学で知り合い、当時お付き合いしていた彼女(現在の奥さん)が宇都宮にいました。

大学が栃木県内だったということもあり、メディカルフィットネスを退職し、宇都宮でフリーのパーソナルトレーナーとして独立を決めました。

私がトレーナーとして活動し始めるにあたり大切にしようと心に決めたことがあります。

それはお客様に『本質』をお伝えするということです。

フィットネスジム勤務時代は、母体である病院の方針があるためマニュアル通りの指導しかできませんでした。

お客様を本気で変えたい気持ちはあるのに、本当に自分が伝えたいことが伝えられないのは、私にとって苦痛でした。

私は、世の中の間違った情報で体を壊してしまう女性を今まで何人も見てきました。

何年も前から生理が止まったままの方。

食事制限で、爪がボロボロ、髪がボサボサになって心身ともにやつれてしまった方。

整骨院や整体に行っても膝や腰がよくならない方。

トレーニングをして体調不良やケガをしてしまった方。

このような状態にある方でも、私が学んできた体の本質をお客様が実践していただくと、どんどん体が変わっていきました。

何よりも、自分のカラダでの変化が衝撃でした。

薬や漢方、手術などいろいろ試しても全く治らず、20年間苦しめられてきたアレルギー、体調不良がなんと治ったのです。

医療では不可能とされていることでも、必要なアプローチによって改善できるということを強く実感した瞬間でした。

私のパーソナルトレーニングを受けられたお客様の中でも、30年苦しめられた腰痛から解放された方、何年もなかった生理が来て、生理痛、排卵痛が劇的によくなった方、ご飯をしっかり3食食べて体重が落ち、膝の痛みが改善された方々がいます。

『あきらめないで良かった!』

効果を実感いただけると、お客様から感謝の言葉をいただきます。

この時がトレーナーの道を選んでよかったと心から思える瞬間です。

そして、これからもさらに頑張る!という気持ちを私に与えてくれます。

お客様には私をパーソナルトレーナーとして選んだことを絶対に後悔してほしくありません。

直接のトレーニング指導だけでは限界があるので、それ以外の時間をカバーするために24時間無料のメールサポートやオンラインでのサポートをつけさせていただいているのもこういった理由があります。

なぜそこまでするのか?

なぜなら、あなたには健康で幸せな人生を送ってほしいからです。

2ヵ月とか3ヵ月、半年、1年だけではなく、ずっとあなたのパーソナルトレーナーでいるという覚悟が私にはあるつもりです。

ケガや病気になったことがある方なら、わかるかもしれませんが、体が健康じゃないと、いくらやりたい気持ちがあっても何もできません。

最初の方で、旅行好きな祖父母の話をしましたが、現在、祖父は膝を痛めてしまい家の中以外は車イスでの生活が多くなってきました。

祖母や母がその介護をしているような状態です。

大好きな旅行に行きたい気持ちがあっても、周りに迷惑をかけることを考えて本当の気持ちを抑えてしまいます。

叔父の死についても一緒です。

栄養、食事の偏りを甘くみていると命にかかわることもあります。

健康を失ってからではもう遅いんです。

取り戻せる場合もありますが、手遅れになってからでは意味がないのです。

私は幸運なことに、このことを身をもって強く実感できる環境に育ちました。

もっと自分の体を大切にして、お客様だけでなく、お客様のご家族も健康で過ごして欲しいです。

あなたが健康で元気でいることで、あなたの周りの人も元気になれます。

そしてその元気がどんどん広がっていくことで、あなたが住んでいるこの栃木県も今よりもっと豊かな場所になればいいですよね。

そのためには健康やトレーニングの本質を多くの人に知っていただく必要があると感じています。

本質を広めるパーソナルトレーナーとしてどこまでできるかわかりませんが、私を信じてついてきてくれる方を少しでも良い方向へ導いていけるように全力を尽くし、今後も歩み続けていきます。

長くなってしまいましたが、以上が私のパーソナルトレーナーになった理由、そしてこれからもトレーナーであり続ける理由です。

かなり長文になってしまいましたが、最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

パーソナルトレーナー

御代田 享(みよた あきら)